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本と「言の葉」について

私のライターとしての仕事には「ゴーストライター」というのもあります。

 

ゴーストライターというと、何年か前の作曲家の事件を思い出す方もいらっしゃるでしょう。でも、出版業界でいう「ゴーストライター」は、あの事件とはちょっと、いや、かなり違います。

 

出版業界でいうゴーストライターは、著者となる方からライターが聞き取りをして、それを文章にして、1冊の本にまとめることです(本ではなくて記事のこともあります)。書く時間のない方々、たとえばタレントさんが著者となる場合などを中心に、ごく普通に行われています。

 

ゴーストライターとして著者さんから聞き取りをする際に、私が必ずうかがうのは「誰に対して、何を伝えたくて書くんですか?」ということです。

 

これはいわば、会社でいえばビジョンとかミッション、木でいえば「幹」にあたるものです。誰に対して何を伝えたくて本を書くのかが明確になれば、表現や内容にブレがなくなるんですよ。

 

そういえば以前、私は近所の公園をよくウオーキングしていました。その公園には、サクラやケヤキなど、いろいろな種類の大きな木が並んでいます。それらの木を眺めながら歩いていたら、ふと、こんなフレーズを思いついたことがありました。

 

ことばは、言葉。言の葉。

言の葉っぱを集めて、木をつくる。森をつくる。

それが文章を綴るということ。

 

木にはいろいろな木があるけれど、どの木にも、葉っぱは無数にあります。けれども、幹は1本です。その1本の幹から、枝が分かれ、その枝の先に葉っぱがあります。文章も、同じです。単に文章というよりも、「本」といった方がわかりやすいでしょうか。

 

言葉がたくさん集まったものが本だけれど、その本には伝えたい「幹」があります。企画の主旨といってもいいです。本は、その中心となる幹から枝分かれして、さまざまなストーリーやエピソードが集まっています。そのストーリーやエピソードを構成するのが言葉です。

 

「言の葉の木」には、いろんな木があります。

 

たとえば、1つのテーマでいろんな作家の作品を集めたアンソロジーのような本をよく見かけます。この場合には、そのテーマが「幹」で、ひとつひとつの作品が「枝」というイメージ。だから、こういう本はきっと、1本1本それぞれの枝がものすごく太いのだと思います。そして、それぞれの葉もものすごくしっかりしているのではないでしょうか。

 

木は、幹がしっかりしていても、枝や葉がたくさんあるものばかりではないし、大きい木ばかりが価値があるわけではありません。同じように、言葉がたくさん集まった本は分厚いけれど、分厚いからといって価値が上がるわけではないのです。

 

たとえば、俳句や短歌などは、言葉の数が決まっています。だから、句集は分厚くはない。けれど、趣があったり風情があったりして、心を揺さぶります。さしずめ、年季の入った盆栽、といったところでしょうか。

 

世界各地の森へ行けば、それぞれの国にさまざまな木があるように、この世の中にはさまざまな本があります。薄い本も、分厚い本も、日本語も英語も中国語もフランス語も。歴史も宗教も文学も、医療も科学も、家庭も料理も、恋愛も仕事も。

 

あらゆる本が、それぞれの幹を持って、それぞれの言葉で、伝えようとしているのです。

 

木は、春に花を咲かせ、夏に木陰をつくり、秋には色づいて、人を集めます。本も、それぞれの時に、それぞれの時代に、読む人を集めます。

 

そういえば、最近は電子書籍もあるけれど、紙の本のおおもとは「木」。木から紙ができて、できた紙に「言の葉」をのせたものが「本」ですね。