先日、オンライン取材があったのですが、取材した方から、こう言われました。
「取材してもらったことで、かえって自分の考えがまとまりました」
私は現場取材でもオンライン取材でも、取材をするたびに「人は自分の中に答えを持っていても、それを顕在化させてくれるのは他人なんじゃないか」と思っています。
以前、私自身がそれを実感した事件(?)がありました。
それは「司会者という仕事について、記事を書く」というご依頼です。普通のライターさんなら、司会者にインタビューして、それを記事にするんですけど、私の場合は自分が司会者(司会歴20年以上)なので、インタビューの必要なし!と思って引き受けました。
ところが……。自分の仕事について自分で書くことが、これほど難しいとは思いませんでしたよ!
「この仕事に就いたきっかけは?」「大変だと思うことはありますか?」という感じの質問はあるのですが、それに対する答えが、短い文章しか思い浮かばない!
結局、どうしたかというと、私の仕事を知っている友人などに協力してもらいました。「司会者について文章書くんだけど、私に質問してみて」と言って。そうすると、出てくるんですよ、質問に対する答えが。しかも、長い文章が書ける程度に。「あ、私がいつも取材者に質問しているのは、そういうことか!」と、初めて「取材される人」の気持ちがわかりましたよ。
「人は自分の中に答えを持っていても、それを顕在化させてくれるのは他人なんじゃないか」ということを、私は身をもって知らされました。
私はいつも「取材は人の話を引き出すこと」と言っています。ライターなんだから、自分で自分の話を引き出せるようにならなきゃ、と思った「自分取材」なのでした。