コロナ禍になって、気軽な外出や飲食店での飲酒が制限されて、家で過ごすことが圧倒的に増えました。
その余った時間を、私は読書にあてることが多いです。必然的に、本棚から本があふれるようになり、仕方がないので、「もうしばらく読まないだろうな」という本は、押入れの天袋にしまっています。
先日も、本棚を整理していたら、ちょっと前に読んだこの本のことを思い出しました。
「つまずきやすい日本語」
この本は、国語辞典編さん者(辞書をつくる人)の飯間浩明先生が書いたものです。
日本語には、同音異義語や地方の言葉、そしてなによりも、それぞれの人の「頭の中にある辞書」が違うので、誤解を生むことがある、というような内容です。
例えば「かける」という言葉には……
・ふとんをかける
・アイロンをかける
・コピー機にかける
・かんなをかける
・壁にかける
こんなにたくさんの意味があります。そりゃ、誤解も生まれますよね。
この本を読んでいて「なるほど~。そうなのか」と思ったのが、「書くこと」についての記述です。飯間先生の言葉を要約すると「会話なら、その場で誤解をといたり、言い方を修正したりできるが、書いた言葉はそれができずに一方通行だから、誤解が生まれやすい」というようなことが書いてありました。
そうなんです。まさに、ライターである私はいつも「この文章で、誤解を生まないかな?」と考えながら書いています。そのためにやっているのが「何度も読み返すこと」つまり、推敲ですね。
私の場合、原稿を書きはじめたら、一定の区切りがつくまで書いているので、自分が仕事中になにをやっているのか、時間を区切って考えたことはありません。でもおそらく、手を動かしてパソコンのキーボードを打っている「書く」という時間よりも、自分が書いた文章を「読み返す」という時間の方がはるかに多いと思います。
自分が書いた文章を読み返して、「やった~。うまく書けた~」と悦に入っていることはほとんどなくて、「この文章で、読んだ人はわかってくれるかな?」「文章のリズムは悪くないかな?」ということを確認している場合が多いです。
そして、若い頃は読み返している時点でいろんな「迷い」が起きて、何度も何度も書き直していました。そうして結局、いちばん最初に書いた書き方に戻したりして(笑)。
今は、若い頃ほど迷わなくなりましたが、それでもやっぱり、何度も何度も読み返します。「この文章で、読んだ人はわかってくれるかな?」と考えながら。
「仕事はライターです」というと、「私、文章を書くのニガテなんですよ。書くことが得意でいいなぁ」と言われるんですが、改めて考えると、書くことよりも読むことが好きじゃないと、文章を書く仕事は続かないと思います。他人が書いた文章を読むのはもちろん、自分が書いた文章を読むのも、仕事のうちですから。