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「走る」ということ

友人がロードレース大会(10キロ)に出るというので、応援に行ってきました。

 

ま、応援といっても、私は沿道で声援を送ったわけではなく、スタート前に「いってらっしゃ~い!」と送り出し、ゴール後に「お疲れさま~!」と迎えただけなのですが。

 

画像は、大会前日に「がんばれよ~!」という意味を込めて、一緒に飲みに行った、タイ料理店のイカ焼き。

 

なんでそんな画像かというと、私自身は、そういう大会の会場へ久しぶりに行ったので、ものすごくおもしろかったんです、いろんなことが。それで、会場ではほとんど写真を撮るのを忘れていて、気づいたら、こんな写真しか残っていませんでした(笑)。

 

そういう大会へ「久しぶりに」行ったというのは、以前、私が走っていたわけではなく、応援しに行っていたわけでもありません。「じゃ、何をしに行っていたの?」というと、琉球放送で仕事をしていた時に「NAHAマラソン」という市民マラソンの取材をするために、大会会場や競技コースに行っていたんです。

 

考えてみれば、そういう理由で「走る」ということに関わる人は、少数派ですよね。

 

実は私、放送の仕事で関わるようになるまで、スポーツ全般に興味がありませんでした。理由は、自分が運動ぎらいだったから。一応、中学生の頃はバスケ部に所属はしていましたが、うまくもないし、体力もないので、補欠以下くらいでした。

 

それが、仕事でマラソンの中継などに関わるようになってから、「走る」ことを見るのがおもしろいと思うようになったんです。

 

スポーツ実況のアナウンサーって、すごいんですよ。注目選手の情報とかをたくさん頭に入れて、レースの状況が変わると、その都度、実況に合わせてその選手の情報をしゃべる。しかも、よどみなく。

 

んで、「走る」という競技って、すごいなと。

 

だから、先日、友人の応援のために行った大会会場でも、つい、仕事のつもりでいろいろ考えながら見ちゃいました。そのロードレース大会は市民大会なので、参加者は一般の社会人がほとんどです。そういう人たちが次々にゴールする度に「この選手はどういう選手なんだろう」「なんでこんなに速いんだろう」って観察してました。

 

そして何よりも「なぜ人は、走るんだろう」って。そして「走るのは苦しいはずなのに、走っている人は、なんであんなに楽しそうなんだろう」って。

 

だって、10キロの大会とはいえ、ホントに苦しいはずなんですよ。普段、何もしていない人にとっては、10キロは走るどころか、歩くのも大変ですからね。

 

私の友人は、学生時代に陸上の選手だったらしく、走ることには慣れているし、自信があるので、スタート前には「大丈夫!」と言っていたのですが、ゴール後には「ひざがダメかも~。ラストの上り坂がキツかった~!」と、足を引きずっていました。

 

それで、その友人曰く、「上り坂の手前の給水所で、あと1キロだから大丈夫と思って、足を止めてしまった。あれがいけなかった」と言っていたんですね。一度止まると、その後がものすごくキツイんですって。

 

でね、久しぶりに「走る」人を観察して思ったこと。シンプルに「走る」ということは、いろんなことに通じるものがあるんじゃないかなぁ。

 

・苦しくても、楽しければそれでOK!

・リズムにのる。途中で止まると、ノリが悪くなる。

・キツくても止まらなければ、ゴールできる。

 

なんか、これって、人生みたいですよね。私も走りたくなっちゃいました。