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私が沖縄に住んだワケ

「山形出身ですが、沖縄に住んでました」
こう言うと、たいてい「なんで??」と聞かれます。

 

私が沖縄に住んだ最初のきっかけは、琉球大学に進学するため。なぜ琉大だったのかというと、「青い海の近くに住みたかったから」。本当にそれだけです。

 

私が高校3年生だったのは、1989年(年齢がバレますが)。当時の私にとって「沖縄」といえば、青い海と白い砂浜の広がる南国、というイメージくらい。

 

当時は、全国版のテレビなどで沖縄のことが取上げられることも少なかったし、高校などの修学旅行先が沖縄ということも少なかったし、もちろん、今のようにネットで何でも調べられる時代でもありませんでした。

 

もしかすると、すでにTBSテレビ「ニュース23」という筑紫哲也さんがキャスターを務めていた番組で、沖縄のことが取上げられていたのかもしれません。でも、幸か不幸か、当時の山形にはTBS系列局がなかったので、私が沖縄のニュース映像を山形で目にすることはなく…。だから、沖縄に米軍基地があることも、沖縄戦のことも、独自の文化があることも、ほとんど知りませんでした。

 

山形県は広くて、海側は日本海に面していますが、山形市という盆地で生まれ育った私は、なぜかとても青い海に憧れていました。当時は(今もですが)、山下達郎さんの音楽が大好きで、達郎さんのアルバムジャケットがアメリカの西海岸を思わせるような、海っぽいイラストだったのも、影響が大きかったのかもしれません。

 

そんな私を、おそらく親は見ていたのでしょう。高校3年生のある日、父から「沖縄でもハワイでも好きなところに行っていいぞ」と言われました。その時は、ものすごくうれしかったのを覚えています。

 

ところが、高校の進学担当の先生に「琉球大学に行きたい」と言ったところ、「琉球なんかに行って、その先はどうするんだ!」と怒られました。偏差値が低い大学だから、就職できないかもしれないぞ、と。

 

それでも、親はOKしてくれていたので、高校の先生の反対を押し切って、琉球大学を受験しに行きました。

 

でも実は、その時点で、一度も沖縄に行ったことはなかったんです。つまり、大学受験のために沖縄へ行ったのが、人生で初めての沖縄。

 

当時、琉球大学の入試は2日間。当日は朝から試験なので、前日入りして2泊3日の初めての沖縄。受験のために沖縄へ行ったというのに、私は合間をぬって、那覇市内を散策しました。

 

国際通りとか、公設市場とかをうろうろするうちに、野菜や果物を売っていたおばあからタンカン(沖縄のオレンジ。ネーブルとポンカンの交配種)をもらったんです。あの時に初めて食べたタンカンの、見た目がキレイじゃないのにおいしかった衝撃を、今でも忘れることができません。

 

そこで、いわゆる「沖縄病」にかかっちゃったんですね。琉球大学には受験しただけで、まだ受かってもいないのに「私は沖縄に住む!!」と、勝手に決めていました(笑)。

 

無事に入試を終えて、沖縄から山形へ帰る時、飛行機の窓から「必ず、すぐに帰ってくるからね」と青い海に向かって誓ったのを覚えています。山形の方が私の出身地なのに、この時すでに「沖縄に帰る」という表現をしていた。初めて行った沖縄に「ひとめぼれ」どころか、一気に重度の「沖縄病」だったんですね。