それは、午後3時前のことだった。
スマホからブーブーと振動音がして、何かのアプリから通知が来たのがわかった。
「S区に強い雨雲が近づいています」
天気アプリからの通知だった。アプリを立ち上げて雨雲レーダーを確認すると、今から30分後くらいには、私の自宅がある辺りに、大雨が降る予想だ。
その日は、朝から強い日差しが照りつける暑い日で、私は午前中に洗濯を済ませてきていた。当然、洗濯物は屋外に干してある。
「マジか。どうしよう……」
その時、私は自宅のあるS区から電車で15分ほどのノマドスペースで、原稿を書いていた。その原稿は、その日のうちに仕上げなければならず、ほぼ9割ほどが出来上がっていた。
その場所から一旦自宅へ戻り、洗濯ものを取り込んで、再び原稿に取り組むまで、約1時間……。この時間を、私は無意識に計算していた。1時間後に戻ってきて、原稿を仕上げれば、今日の夕方までには先方へ送ることができる。締切りには間に合うだろう。
そう思うが早いか、私は貴重品の入ったバッグだけを引っ掴んで、ノマドスペースの最寄り駅へと急いだ。ホームに滑り込んできた電車に飛び乗る。自宅近くのS駅に着くまで、約15分。S駅に近づくにつれて、確かに雲が厚みを増し、まぶしいくらいだった日差しが雲にさえぎられ、徐々に空が暗くなっていく。
ついに、S駅の1つ手前の駅で、雨が降り出してしまった。ポツポツというよりも、ボタボタというくらいに、大粒の雨だ。
「ああ、間に合わなかったか……」
けれど、私はあきらめなかった。目的のS駅に着くと、走って改札を抜け、駅の売店でビニール傘を買い、階段を駆け下りた。駅の外は、土砂降りだったが、それでも傘を差して必死に走った。その日、タイトスカートをはいていた自分を恨めしく思った。
自宅へ向かって走っている途中、住宅のベランダに干されたままの洗濯物がいくつも見えた。おそらく、その家々に住む人たちもその日の午前中、私と同じように「今日はお天気がいいから」と、ゴキゲンで洗濯をして、ベランダに干したまま出かけたのに違いない。
息を切らして走り、自宅に着いた頃、あんなに土砂降りだった雨が、すっかり止んでいた。再び強い日差しが照りつけている。
「アタシが走ったのは、一体何だったんだ?!」
そう思いながら急いで自宅のドアを開け、洗濯物が干してあるベランダへと急ぐ。幸いにも、ベランダの上にある小さな屋根のおかげで、洗濯物はほとんど濡れていなかった。それどころか、カラリと気持ちよく乾いていた。
ホッとして、とにかく洗濯物を取り込んだ。
取り込んだ途端に、ノマドスペースにパソコンも資料も全部置いてきたことを思い出した。今いるのは自宅だというのに、再び出かけなければならない。
S駅から、再び電車に乗る。平日の午後4時前、空いた電車の座席に座り、この数十分間に起きた出来事を振り返った。スマホの振動音、天気アプリの通知、雨雲レーダー、駅の改札、ビニール傘、土砂降り、洗濯物……。
私が自宅へ戻った意味はあったのか??いや、きっと意味はあったのに違いない。人生に意味のないことなんてない。きっと、ない。だって、こうしてブログのネタにはなっているのだから……。