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空は、つながっている

「沖縄国際大学に米軍のヘリ墜落」というニュース速報を目にしたのは、たまたま私が夏休みを取っていた日だった。14年前の今日、8月13日のことである。

 

当時、私は沖縄のテレビ局報道部でリポーターをしていた。月~金曜日は夕方のニュース番組に向けて毎日現場で取材をし、企画ニュースの取材のために土曜日も出勤することが多かった。休日返上でよく働くのを見ていた私の上司が「たまには休め」と、珍しく平日に夏休みをくれたのが、その日だった。

 

自宅でテレビを付けたまま、掃除や洗濯をしながらのほほんと過ごしていた午後2時過ぎ、前述の「米軍ヘリ墜落」の速報である。

 

米軍ヘリが墜落、しかも大学に?!

 

沖縄国際大学は、宜野湾市の普天間飛行場のすぐ隣にある大学だ。隣接しているとはいえ、ヘリが墜落するなんてあり得ない。

 

私はびっくりして、すぐに局へ連絡を入れた。電話に出た上司に「私も出社しますか」と聞いたが、来なくても大丈夫だと言われた。緊急事態だろうから、正直言って居ても立っても居られなかったのだが、「来なくていい」と言われれば仕方がない。その日、出かける予定をキャンセルして、テレビからの情報を待つことにした。

 

今なら、SNSなどで近所の人や大学の学生が写真をすぐにアップするだろう。しかし、14年前はインターネットはあったが、一般人による情報発信はあまり普及していない時代だ。最も速く情報を伝えられるメディアは、テレビやラジオだった。

 

実はその日、私の同僚たちは中継車と共に、糸満市にある「平和の礎」に向かっていた。8月15日の終戦記念日を前に、平和について改めて考えようと、生中継を交えた企画ニュースを放送する予定だったのである。

 

それが急きょ、宜野湾市の事故現場からの中継になった。皮肉なことに、平和に関するニュースのために局を出発した中継車は、米軍ヘリの墜落という、軍用機事故の現場で活躍することになってしまったのだ。

 

中継車は、消防や警察のような緊急車両ではないので、通常は出発までにそれなりの時間がかかる。しかし、私の同僚たちが乗った中継車は、すでに別の現場へ向けて出発していたから、事故現場へと行先を変更するだけだった。だから、どこのテレビ局よりも早く現場へ着いたはずだ。

 

ところが、中継は思うようにできなかった。

 

米軍の関係者が事故現場に非常線を張り、沖縄側の取材陣は現場に近寄ることができなかったのだ。もちろん、大学は基地の外にあるのに、である。私の同僚たちは現場にいるにも関わらず、大学の敷地の外からの映像を送るしかないという、本当にもどかしい状況に対応するしかなかった。

 

不幸中の幸いで、ヘリが墜落したのは大学の建物ではなく、また、夏休みだったために構内に学生は少なく、沖縄側の人的被害はなかった。しかし、ヘリの機体がぶつかった大学構内の大きな木は黒焦げになり、辺りには異様な臭いがしたという。さらに、大学構内だけではなく、周辺の住宅地にもヘリの部品が散乱していた。

 

宜野湾市では今年も、小学校のグラウンドに戦闘機の部品が落下する事故があった。学校や住宅地に、軍用機やその部品が空から落ちてくるなんて、沖縄で生活したことのない人には想像できるだろうか?

 

ニュースでは「基地と隣り合わせ」という表現をよく使う。フェンス1枚で、確かに「隣り合って」いる。ただし、沖縄に数ある米軍基地の中でも、普天間飛行場は文字通り「飛行場」だ。

 

空には、フェンスがない。

 

沖縄の人たちが住む街の空と、軍用機や戦闘機が飛ぶ米軍基地の空には、本当に何の垣根もない。空は、つながっているのである。沖縄の空が本当の意味で平和になるのは、一体いつのことなのだろうか。