電柱に一匹のセミ。
なんてことない風景だが、私はなぜ、この写真を撮ったのだろう?この時のことを思い出してみた。
確か、平日のお昼前くらいだったと思う。コンビニに行かなければならない用事があって、猛暑の中を仕方なく出かけた。
私が住んでいる家からコンビニの間には、住宅地と公園がある。住宅地ではどの家も窓が閉まっていて、室外機が回る低い音がした。アスファルトの道路は、限りなく熱い。
住宅地を抜けた公園には、桜の木がたくさんあって、夏空に枝葉を広げ、木陰を作っている。公園内の道は舗装されていない砂利道なので、アスファルトよりは幾分、涼しく感じられた。
公園内では「ミーンミーン」と、セミが大合唱している。
「ジジジッ…」という羽音と共に「ああ~、逃げられた」という声がするので、振り向くと、麦わら帽子を被った中学生くらいの男の子が、虫取り網を持っていた。彼の横には、小さな男の子と女の子。女の子の手には、空の虫かごがあった。
夏空、麦わら帽子、虫取り網と虫かご。そして、セミの声。いかにも「夏休み」というシーンだ。東京の都心でも、こんな光景があるんだな、と思った。
そして、コンビニで用事を済ませた帰り道に撮ったのが、この「電柱にセミ」の写真である。あの、公園で見た「いかにも夏休み」に登場するセミとは、対照的だと思った。
夏休みのセミは、子どもたちに追いかけられ、捕まらずに木々の間を飛び回っている。木陰があり、仲間たちの大合唱もある。
けれどこのセミは、たった一匹で、木陰どころかどこにも日陰のない、人工物の電柱に掴まって、鳴いていた。木に掴まっているなら、その茶色の姿は目立たないだろうに、灰色の電柱に掴まっていては、かえって目立ってしまう。
その違和感を、私は写真に残したのだと思う。
頭の中に「?」と思ったら、その時は何に使うのかわからなくても、とりあえず記録する。毎日ブログを書くようになってから、そういうクセが身に付いた。
でも実は、このクセは新たに身に付いたものではなく、「取り戻した」もしくは「再び身に付いた」ような気がしている。おそらく以前、報道部にいた頃も、そういうクセが自然に身に付いていたのだろう。
小さな違和感を流さない、見逃さないことが、書く仕事、伝える仕事には欠かせないと、改めて思っている。