· 

デジタルでも、ライターは必要だ

「今どきライターやってて、仕事あるの?」

いろんな人から時々聞かれる。本が売れなくなっていると言われて久しいからだ。

結論からいうと、ライターの仕事はなくならないと私は思う。ただ、媒体が紙からデジタルになるだけだ。

 

ライターといっても、本や雑誌の原稿を書くだけが仕事ではない。私は、ニュースやエッセイ、さまざまなストーリーなど、文章というコンテンツを書くのがライターだと思っている。だから、これからもライターという仕事はなくならないと思うのだ。

 

 

インターネットが普及して、あらゆる情報がネット上にあるように見える。だが実は、ネット上にない情報の方が、世の中にははるかに多い。

 

大きなところでいえば、この度、西日本で起きた大雨による災害や復旧の情報。一日も早く、被災地に日常が戻ることを願うばかりだが、行政、民間、インフラ、物流など…これだけ広範囲になると、どんなにマスコミが報道しても、全てを伝えきれるわけではない。

 

全体を俯瞰した情報も必要だし、住民目線の細やかな情報も必要だ。そして、それらは刻一刻と変化していく。誰かがそれをテキストや画像や映像などのコンテンツにして、アップしなければ、ネットで知りたいと思っても、知ることはできない。

 

また、普段の生活の中でも、さまざまな情報はどんどん変化していく。会社も、家庭も、である。身近なところでいえば、今私がこうして書いている、私の考え方や心情も変化していく。私自身が文章にしなければ、ネット上で知る人はいない。

 

「どんなにいい商品や情報を用意していても、伝えなければ存在しないのと同じ」

これは以前、取材させていただいたコンサルタントの方が仰っていた言葉だ。

 

「情報化社会」といわれるように、あらゆることがデジタルな情報となって、世界中を駆け巡っている。しかし、今目の前にあることをコンテンツにすることができなければ、世界中に知られることはない。そのコンテンツは、「他の人が見たり読んだり聞いたりしても、わかるような」ものでなくてはならない。

 

目の前にあることを画像や映像にするのはカメラマン。そして、そこにいる人や状況を「他人にもわかりやすい」文章にできるのは、ライターだ。もっともっと、私たちが活躍できる場はあるはずだ。