日曜日の午後、ランチを終えてのんびりしているところに、電話がかかってきた。
「ありがとう!さすがプロだね」
先日お会いした、IT会社の女性社長さんからのお礼の電話だった。以前からお世話になっていて、久しぶりにとある食事会でお会いしたのだ。
「実はね、本を書きたいと思っているのよ」というので、食事をしながらお話を聞いた。その場は15人ほどの人が集まっており、そのうちの数人がグループになって、彼女の話を聞いていた。
だから、彼女が書きたい本についての話を聞いたといっても、きちんとヒアリングをしたわけではない。いわば、飲み会での雑談程度で、時間にすれば15分程度だっただろうか。
話の内容は、こんな感じだった。彼女の親戚で、普段は飲んだくれのおじさんがいた。すでに故人なのだが、彼女の記憶の中では、そのおじさんはいつも酔っ払って、ニコニコしていたらしい。
ある日、彼女のところへ、地元の出版社が出した戦争体験者の話をまとめた本が届いた。出版社に勤める彼女の知り合いから献本されたもので、それをパラパラとめくった彼女はびっくりした。いつも飲んだくれていたあのおじさんの写真があったからだ。おじさんが戦争当時に体験した話を読んで、彼女は「おじさんは、こんなにツラい体験をしたのに、言いたいことも言えなかったんだ」と思った。
SNSが当たり前となり、誰もがなんでも言えるようになった今。それとはまるで違う時代を生きた人たちの話を、本として残したいのだという。
私はテレビ局の報道部に勤務していた頃、その局が沖縄だったために、戦争体験者の取材をたくさんした。終戦から70年余りが経って、体験者は高齢化している。戦争関連の話は、今まとめておかなければ、誰も語る人がいなくなるという危機感は、他のライターよりも強く持っていると思う。
彼女の話を聞いた私は、翌日、話の内容を簡単な企画書にまとめて、彼女に送った。企画書といっても、タイトル案、本の概要、想定する読者層、それから本にした時に「もくじ」にあたる構成案を書き出したもので、A4用紙1枚程度のものである。
話を聞いたのは食事会の席だったから、ICレコーダーを回していたわけではないし、その場に資料があったわけでもない。ただただ、私の記憶の断片をメモにして、本にした時のことを想像し、思いつくことを書いた。
書きながら「文字にすることは、自分の頭の中の整理なんだな」と、改めて思った。
どれほど彼女の役に立つかはわからなかったが、それでお金をもらうつもりもないので、気軽な気持ちで送った。
そのお礼が、冒頭の電話なのだった。
「おかげで、やっぱり本にしようって、背中を押された気がするわ」
うれしそうに仰っていただいて、私もうれしくなった。
私の仕事は、相手が喜ぶためでもあり、自分が喜ぶためでもあるのだと思った。